人間の記憶は変質するものだ。
あるいは年を経て細部を忘れ、あるいは物の見方が変わり、次第に別のものに変容してゆ く……そういう経験は誰もがあるだろう。
本書は、そんな「記憶」を呼び覚まし、留めようとする営みを丹念に描いた連 作短編集である。
本書は表題作を含む六つの連作短編と、それらとは独立した一短編からなるが、本書評では構成など の都合で主に連作部分を紹介・批評する。
物語は主人公・市瀬の一人語りで展開する。勤務先のカルタ企画での人間関係 や、市瀬がアイドル視する女性社員・千絵との出会い、そして読み返される過去の日記を背景に、別れた妻との思い出を 留めたり、逆に抑えたりしようとする様子が淡々と描かれていく。
バラバラの時系列で、時に同時期のことを幾度も回想 し、過去の自分と対話をし、訂正(あるいは改変なのだが、現実の記憶同様に、真相を解明する術はない)し、しばしば現 実を離れた妄想をも編み込んでゆく独特の重層的な語り口が、私たちを繊細に組み上げられた世界観へと没入させる。
本作最大の魅力は、そういった多層的な構成である。妙にゆるい社風のカルタ商事でのお茶くみにまつわる一コマ、免許 証再取得のための小外出の顛末など、出来事のそれぞれはリアルに描かれているのだが、騙りての記憶と化したそれらを 描き直し、空想と混ぜて積み重ねてゆくことで、立体的な作品世界が実現されている。
特異な構成とそれと同じくらいに 印象に残るのは、主人公市瀬の突飛な行動である。元妻に固執し、千絵を半ば崇拝するあまりのその行動は若干……いや 、時には明らかに異様であり、市瀬自身もそれは自覚している。
しかし、読んでいる最中は、妙に落ち着いた筆致のせい で異様さが中々実感されないのである。それが恐ろしいと同時に、この「記憶」に固執するがゆえの行為は、程度の差は あれ、私たちも知らず知らずに行ってしまっているのではないかと感じさせられる部分がある。
……というとサイコホラ ーの紹介みたいだが、全体の展開はあくまで穏やかで綺麗なもので、読後感も爽やかなので、それはそれで不思議である 。
ただ、ここまでの説明でもわかるように本作は所謂〝文学的〟要素の強い作品であり(因みに著者は芥川賞作家である) 、好きになれるかどうかは相性によるところも大きいだろう。特に派手な大事件が起こるわけでもなく、淡々と主人公の 内面を追っていく形式だけに、主人公に共感できるか、あるいは主人公の思考・性格を理解し許容できるかで好き嫌いが はっきり出てしまうと思われる。
しかし、展開の起伏は比較的しっかりしているため、この手の小説の中では比較的読み やすい部類であるとは思う。実際、筆者も普通に読めた。
茄子特集なのにここまで題名の茄子に触れずに進んできてし まったが、心配するなかれ、本書は非常に良質な茄子(というか食べ物)小説でもある。
そもそも本書全体が、風景描写か ら人物描写まで、繊細ながら簡潔な巧みな筆致で描出されているのだが、何度かある食事シーンでの描写は特に秀逸だ。 肉汁たっぷりの餃子、油で輝く茄子の素揚げなどが丹念に描かれて、読んでいるだけでお腹が空いてきてしまう。
という か今思い出しても若干お腹が空く。
茄子の登場は全体で見ればあまり多くないながらも、「茄子の輝き」が短編の一つ、 そして短編集全体の題であることに違和感を感じないことも、そんな筆力によるものだろう。
「茄子の輝き」は短編・ 本書全体の題であると同時に、何気ない一瞬に煌めく様々なものを象徴する言葉でもある。
居酒屋で出された茄子の素揚 げの美しい輝き、それを包む周囲の喧騒、店主の赤らんだ顔……。そんな細かな物事を胸に刻んでおきたいと思う、素朴 で純粋な思い。儚い記憶を慈しみたい、そんなひとときにお薦めの小説である。
あるいは年を経て細部を忘れ、あるいは物の見方が変わり、次第に別のものに変容してゆ く……そういう経験は誰もがあるだろう。
本書は、そんな「記憶」を呼び覚まし、留めようとする営みを丹念に描いた連 作短編集である。
本書は表題作を含む六つの連作短編と、それらとは独立した一短編からなるが、本書評では構成など の都合で主に連作部分を紹介・批評する。
物語は主人公・市瀬の一人語りで展開する。勤務先のカルタ企画での人間関係 や、市瀬がアイドル視する女性社員・千絵との出会い、そして読み返される過去の日記を背景に、別れた妻との思い出を 留めたり、逆に抑えたりしようとする様子が淡々と描かれていく。
バラバラの時系列で、時に同時期のことを幾度も回想 し、過去の自分と対話をし、訂正(あるいは改変なのだが、現実の記憶同様に、真相を解明する術はない)し、しばしば現 実を離れた妄想をも編み込んでゆく独特の重層的な語り口が、私たちを繊細に組み上げられた世界観へと没入させる。
本作最大の魅力は、そういった多層的な構成である。妙にゆるい社風のカルタ商事でのお茶くみにまつわる一コマ、免許 証再取得のための小外出の顛末など、出来事のそれぞれはリアルに描かれているのだが、騙りての記憶と化したそれらを 描き直し、空想と混ぜて積み重ねてゆくことで、立体的な作品世界が実現されている。
特異な構成とそれと同じくらいに 印象に残るのは、主人公市瀬の突飛な行動である。元妻に固執し、千絵を半ば崇拝するあまりのその行動は若干……いや 、時には明らかに異様であり、市瀬自身もそれは自覚している。
しかし、読んでいる最中は、妙に落ち着いた筆致のせい で異様さが中々実感されないのである。それが恐ろしいと同時に、この「記憶」に固執するがゆえの行為は、程度の差は あれ、私たちも知らず知らずに行ってしまっているのではないかと感じさせられる部分がある。
……というとサイコホラ ーの紹介みたいだが、全体の展開はあくまで穏やかで綺麗なもので、読後感も爽やかなので、それはそれで不思議である 。
ただ、ここまでの説明でもわかるように本作は所謂〝文学的〟要素の強い作品であり(因みに著者は芥川賞作家である) 、好きになれるかどうかは相性によるところも大きいだろう。特に派手な大事件が起こるわけでもなく、淡々と主人公の 内面を追っていく形式だけに、主人公に共感できるか、あるいは主人公の思考・性格を理解し許容できるかで好き嫌いが はっきり出てしまうと思われる。
しかし、展開の起伏は比較的しっかりしているため、この手の小説の中では比較的読み やすい部類であるとは思う。実際、筆者も普通に読めた。
茄子特集なのにここまで題名の茄子に触れずに進んできてし まったが、心配するなかれ、本書は非常に良質な茄子(というか食べ物)小説でもある。
そもそも本書全体が、風景描写か ら人物描写まで、繊細ながら簡潔な巧みな筆致で描出されているのだが、何度かある食事シーンでの描写は特に秀逸だ。 肉汁たっぷりの餃子、油で輝く茄子の素揚げなどが丹念に描かれて、読んでいるだけでお腹が空いてきてしまう。
という か今思い出しても若干お腹が空く。
茄子の登場は全体で見ればあまり多くないながらも、「茄子の輝き」が短編の一つ、 そして短編集全体の題であることに違和感を感じないことも、そんな筆力によるものだろう。
「茄子の輝き」は短編・ 本書全体の題であると同時に、何気ない一瞬に煌めく様々なものを象徴する言葉でもある。
居酒屋で出された茄子の素揚 げの美しい輝き、それを包む周囲の喧騒、店主の赤らんだ顔……。そんな細かな物事を胸に刻んでおきたいと思う、素朴 で純粋な思い。儚い記憶を慈しみたい、そんなひとときにお薦めの小説である。
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