鷹使い。
テレビや漫画などで、一度は耳にしたことがある職業だと思う。本書は、そんな鷹使いの中でも、「日本最後の鷹使い」、松原英俊氏の半生に迫ったドキュメンタリーである。
日本最後? 鷹匠はまだ何人もいるんじゃないの? と思う方も多いだろう。勿論、鷹で狩りを行う人は日本にもまだまだいる。しかし、そうした人々が使うのは総じてオオタカなどの小型の鷹だ。
その中で松原氏は、クマタカなどの大型の鷹で狩りを行える、ただ一人の存在なのである。かつては東北などに多くいた「鷹使い」の伝統を受け継ぐ唯一の存在、その意味で「最後の鷹使い」と呼ばれているのだ。(※現代では混用されることも多く、松原氏自身も頓着していないが、 「鷹匠」は元々江戸幕府の保護を受けた人々、およびその流れを継ぐ人々の称号である)
題名のイメージとは反して、本書は鷹匠と しての生活や技法を説明した本ではない。
もちろん松原氏の生活や鷹狩の訓練・方法も記されているのだが、本書の焦点はあくまで「松原英俊」という特異な一個人そのものにある。
そもそも、鷹使い・鷹匠というのは、現在では職業として成立しない。冬しか狩りを行えず、獲物となる兎などの需要が小さいうえ、鷹に与えるエサの費用がかさむためだ。松原氏もその例外ではなく、生活費は夏の間の土木作業や、鷹狩り関連の講演などで賄っている。
そんな状況の中で長年鷹使いを続けていること自体がそもそも特異なのだが( その理由や経緯は本書でも詳しく述べられている。
詳しくは本書を参照のこと(ダイレクトマーケティング))、それは彼の特殊性のほ んの一端にすぎない。読み進めていくと、いい意味でも悪い意味でも、「この人本当に人間なのか?」という疑問が湧いてきてしまう。
何というか、文字通り人間離れしているのである。
まず行動がすごい。歩いていて蛇を見つけたら、あなたならどうするだろうか。せいぜい距離を取って眺めるか、無視して通り過ぎるかといったところだと思う。松原氏は違う。とりあえず掴む。どうするのかは考えず、反射的に掴むという。もちろん、あとで鷹のエサにしたりするという目的はあるのだが、その瞬間は何も考えていないらしい。相手が毒ヘビでもついやってしまうというのだから驚きだ。
他にも、電気もガスもない山小屋でただ一人修業したり、大きなイカと格闘したりと、我々の思う「野生」を地で行っている逸話がいくつも紹介されている。
さらに鷹使いになる前から登山も愛好しており、鷹狩りを始めてからも国内・海外の数千メートル級の山々に挑戦したりもしている……など、特徴・逸話は枚挙にいとまがない。
次に信念がすごい。松原氏にも妻子があるのだが、彼はその妻子よりも鷹のほうが大事だと断言する。もちろん愛はあるし、大事にも思っているのだが、優先順位はあくまで鷹が上なのだ。(余談だが、そんな松原氏を受け入れて関係を続けている奥さんも相当なものだ と思う) 鷹狩りを続けているのも、ひとえにその愛ゆえであり、伝統を受け継ぐ、といったことにはそこまで関心がないらしい。
あくまでも、「やりたいことをやる」
多彩な彼の行動を貫くものがあるとすれば、それはこの単純な、しかし実行の難しい信念なのだろう。
伝統を受け継ぐ最後の鷹使い、と聞くと何となく崇高で美化されたイメージが先行してしまうが、この本はそういったステレオタイプに囚われず、欠点もあり、生々しい思いもあり、そして何よりも自然への愛情にあふれたひとりの人間としての姿を、飾らずありのままに描き出している。
しかしそれでも私たちは、彼に惹かれてしまうのだ。それはたぶん、現代ではほぼ見られなくなった、「自然の中で、自らの夢に正直に生きる」という生き方を、はっきり見せてくれるからなのだろうと思う。
テレビや漫画などで、一度は耳にしたことがある職業だと思う。本書は、そんな鷹使いの中でも、「日本最後の鷹使い」、松原英俊氏の半生に迫ったドキュメンタリーである。
日本最後? 鷹匠はまだ何人もいるんじゃないの? と思う方も多いだろう。勿論、鷹で狩りを行う人は日本にもまだまだいる。しかし、そうした人々が使うのは総じてオオタカなどの小型の鷹だ。
その中で松原氏は、クマタカなどの大型の鷹で狩りを行える、ただ一人の存在なのである。かつては東北などに多くいた「鷹使い」の伝統を受け継ぐ唯一の存在、その意味で「最後の鷹使い」と呼ばれているのだ。(※現代では混用されることも多く、松原氏自身も頓着していないが、 「鷹匠」は元々江戸幕府の保護を受けた人々、およびその流れを継ぐ人々の称号である)
題名のイメージとは反して、本書は鷹匠と しての生活や技法を説明した本ではない。
もちろん松原氏の生活や鷹狩の訓練・方法も記されているのだが、本書の焦点はあくまで「松原英俊」という特異な一個人そのものにある。
そもそも、鷹使い・鷹匠というのは、現在では職業として成立しない。冬しか狩りを行えず、獲物となる兎などの需要が小さいうえ、鷹に与えるエサの費用がかさむためだ。松原氏もその例外ではなく、生活費は夏の間の土木作業や、鷹狩り関連の講演などで賄っている。
そんな状況の中で長年鷹使いを続けていること自体がそもそも特異なのだが( その理由や経緯は本書でも詳しく述べられている。
詳しくは本書を参照のこと(ダイレクトマーケティング))、それは彼の特殊性のほ んの一端にすぎない。読み進めていくと、いい意味でも悪い意味でも、「この人本当に人間なのか?」という疑問が湧いてきてしまう。
何というか、文字通り人間離れしているのである。
まず行動がすごい。歩いていて蛇を見つけたら、あなたならどうするだろうか。せいぜい距離を取って眺めるか、無視して通り過ぎるかといったところだと思う。松原氏は違う。とりあえず掴む。どうするのかは考えず、反射的に掴むという。もちろん、あとで鷹のエサにしたりするという目的はあるのだが、その瞬間は何も考えていないらしい。相手が毒ヘビでもついやってしまうというのだから驚きだ。
他にも、電気もガスもない山小屋でただ一人修業したり、大きなイカと格闘したりと、我々の思う「野生」を地で行っている逸話がいくつも紹介されている。
さらに鷹使いになる前から登山も愛好しており、鷹狩りを始めてからも国内・海外の数千メートル級の山々に挑戦したりもしている……など、特徴・逸話は枚挙にいとまがない。
次に信念がすごい。松原氏にも妻子があるのだが、彼はその妻子よりも鷹のほうが大事だと断言する。もちろん愛はあるし、大事にも思っているのだが、優先順位はあくまで鷹が上なのだ。(余談だが、そんな松原氏を受け入れて関係を続けている奥さんも相当なものだ と思う) 鷹狩りを続けているのも、ひとえにその愛ゆえであり、伝統を受け継ぐ、といったことにはそこまで関心がないらしい。
あくまでも、「やりたいことをやる」
多彩な彼の行動を貫くものがあるとすれば、それはこの単純な、しかし実行の難しい信念なのだろう。
伝統を受け継ぐ最後の鷹使い、と聞くと何となく崇高で美化されたイメージが先行してしまうが、この本はそういったステレオタイプに囚われず、欠点もあり、生々しい思いもあり、そして何よりも自然への愛情にあふれたひとりの人間としての姿を、飾らずありのままに描き出している。
しかしそれでも私たちは、彼に惹かれてしまうのだ。それはたぶん、現代ではほぼ見られなくなった、「自然の中で、自らの夢に正直に生きる」という生き方を、はっきり見せてくれるからなのだろうと思う。
コメント
コメントを投稿