書評誌「ひろば」編集会議で秋号はノーベル文学賞をテーマにしたいと聞いたとき、私の頭にトルストイの名が浮かんだ。
私がかつて聞きかじったところだと、あのロシアの大家はその思想の危険さを理由にノーベル賞を受賞できなかったという。この話は、主婦の友社『ノーベル賞文学全集別冊 ノーベル賞物語』に収められる、ノーベル賞の選定機関スウェーデン・アカデミーの常任理事をかつて務めていたエステルリンクの記述に発見できた。当時ノーベル賞受賞者を選ぶスウェーデン・アカデミーの事務次官だったヴィルセンは、トルストイを「文明を否定し」、「無政府主義の理論を唱え」、「新約聖書を勝手に書き直した」、と述べたという。こういった非難は現代人の目から見て、明らかに一面的で誤ったものと断定できるが、このような非難を受けることは、トルストイの作品が、多分に思想的、宗教的な意味を持つことを考えると当然のものともいえる。
前置きが長くなったが、私が今回書評するのは日本のトルストイ研究の第一人者であった故藤沼貴の論文集『トルストイと生きる』だ。前述のようにトルストイの作品には、思想的な要素が多く、トルストイ研究は必然的に、その思想はどのようなものだったかという問いに、作品や、作者自身の言動を通して迫るものになる。そのため、この本に描き出された見事な分析を通じて、読者はトルストイの文学と思想について思考するための材料を得ることができるだろう。この本に載っている論文は、それぞれ多彩な角度からトルストイをとらえている。作品をそのまま分析したものもあれば、その制作過程を捉えたものや、トルストイの経験とその思想的影響を推察する伝記的なものもある。
しかし、その方法の多彩さに対し、常に導き出されるトルストイの姿は同じである。トルストイはさまざまな点で、他者から学びつつも常に他人と距離をとり、多くの人々より感情的、直感的な方法で自らの思想を打ち立てている。このような繰り返し本書で導き出されるトルストイの姿は、興味深いがあまりにも一般的かつ単純であり、多様な人物が登場して読者を楽しませるトルストイの作品や、前述したノーベル賞を与えられない理由となった、彼の過激と受け取られるアクティブな言動以上に面白いとは言えない。トルストイの面白さが真に現れるのは、分析の素材と過程、明確に思想として定められたものよりも、彼自身の生きる現実、もしくはリアリズムを用いた作品世界の中でのみ現れるものであるということを、この本は図らずも証明してしまっているように思える。著者に注目すると、この本は、論文を基本的に書かれた順番に配置しているため、トルストイだけでなく、トルストイ研究者藤沼貴の姿を時系列に沿ってとらえていくことができる。初めの論文と比べて、後のほうの論文ほど、広範な資料が豊かに用いられており、著者の研究活動の発展が察せられる。またこの本にはロシアでの経験など研究にまつわる話もいくつか紹介されており、著者の生活や研究に向かう姿勢を感じ取ることができるようになっている。著者は実証的な研究を重視し、多くの資料や巨大な全集にあたる。この研究におけるまっすぐな姿勢からは著者のトルストイへの敬愛と共感を感じ取れる。この共感のためにこの本はトルストイを客観的に見ているとはいい難い面もある。しかし多くの資料に裏付けられた著者の見解は説得力に満ち、読者は、本書を通して十分に価値ある研究活動の一端に触れることができるだろう。この書評を読む人の中には、おそらくトルストイを読んだことが無い人や、『戦争と平和』のような大長編を読み切る自信のない人も多いと思う。この本は分厚い論文集だが、どこを読んでもトルストイの輪郭が捉えられ、たった一本の論文を拾い読みするだけでも、これからの読書の秋、ロシア文学に手を出してみたいという人には大きな助けとなるだろう。
(紅塵)
出版社のサイトに飛びます:http://www.shumpu.com/portfolio/461/
私がかつて聞きかじったところだと、あのロシアの大家はその思想の危険さを理由にノーベル賞を受賞できなかったという。この話は、主婦の友社『ノーベル賞文学全集別冊 ノーベル賞物語』に収められる、ノーベル賞の選定機関スウェーデン・アカデミーの常任理事をかつて務めていたエステルリンクの記述に発見できた。当時ノーベル賞受賞者を選ぶスウェーデン・アカデミーの事務次官だったヴィルセンは、トルストイを「文明を否定し」、「無政府主義の理論を唱え」、「新約聖書を勝手に書き直した」、と述べたという。こういった非難は現代人の目から見て、明らかに一面的で誤ったものと断定できるが、このような非難を受けることは、トルストイの作品が、多分に思想的、宗教的な意味を持つことを考えると当然のものともいえる。
前置きが長くなったが、私が今回書評するのは日本のトルストイ研究の第一人者であった故藤沼貴の論文集『トルストイと生きる』だ。前述のようにトルストイの作品には、思想的な要素が多く、トルストイ研究は必然的に、その思想はどのようなものだったかという問いに、作品や、作者自身の言動を通して迫るものになる。そのため、この本に描き出された見事な分析を通じて、読者はトルストイの文学と思想について思考するための材料を得ることができるだろう。この本に載っている論文は、それぞれ多彩な角度からトルストイをとらえている。作品をそのまま分析したものもあれば、その制作過程を捉えたものや、トルストイの経験とその思想的影響を推察する伝記的なものもある。
しかし、その方法の多彩さに対し、常に導き出されるトルストイの姿は同じである。トルストイはさまざまな点で、他者から学びつつも常に他人と距離をとり、多くの人々より感情的、直感的な方法で自らの思想を打ち立てている。このような繰り返し本書で導き出されるトルストイの姿は、興味深いがあまりにも一般的かつ単純であり、多様な人物が登場して読者を楽しませるトルストイの作品や、前述したノーベル賞を与えられない理由となった、彼の過激と受け取られるアクティブな言動以上に面白いとは言えない。トルストイの面白さが真に現れるのは、分析の素材と過程、明確に思想として定められたものよりも、彼自身の生きる現実、もしくはリアリズムを用いた作品世界の中でのみ現れるものであるということを、この本は図らずも証明してしまっているように思える。著者に注目すると、この本は、論文を基本的に書かれた順番に配置しているため、トルストイだけでなく、トルストイ研究者藤沼貴の姿を時系列に沿ってとらえていくことができる。初めの論文と比べて、後のほうの論文ほど、広範な資料が豊かに用いられており、著者の研究活動の発展が察せられる。またこの本にはロシアでの経験など研究にまつわる話もいくつか紹介されており、著者の生活や研究に向かう姿勢を感じ取ることができるようになっている。著者は実証的な研究を重視し、多くの資料や巨大な全集にあたる。この研究におけるまっすぐな姿勢からは著者のトルストイへの敬愛と共感を感じ取れる。この共感のためにこの本はトルストイを客観的に見ているとはいい難い面もある。しかし多くの資料に裏付けられた著者の見解は説得力に満ち、読者は、本書を通して十分に価値ある研究活動の一端に触れることができるだろう。この書評を読む人の中には、おそらくトルストイを読んだことが無い人や、『戦争と平和』のような大長編を読み切る自信のない人も多いと思う。この本は分厚い論文集だが、どこを読んでもトルストイの輪郭が捉えられ、たった一本の論文を拾い読みするだけでも、これからの読書の秋、ロシア文学に手を出してみたいという人には大きな助けとなるだろう。
(紅塵)
出版社のサイトに飛びます:http://www.shumpu.com/portfolio/461/
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