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『アンダーグラウンド』

1995年3月20日にオウム真理教が丸ノ内線、日比谷線、千代田線内にてサリンを散布し、13人が亡くなり、約6000人が負傷した地下鉄サリン事件。


本書はこの事件について、村上春樹が被害者にインタビューし、その証言をまとめたノンフィクションである。『ノルウェイの森』『1Q84』などの長編小説で有名な村上春樹だが、短編集、エッセイそして本書のようなノンフィクションも彼は書いている。


本書ではそれぞれの証言がおよそ10ページ、8000文字程度に渡って書かれ、64名の証言が掲載されている。最初に「はじめに」、終わりに「目じるしのない悪夢」と題した村上春樹の文章が載っていて、インタビューの動機と方針、事件についての所感が書かれている。また所々に被害者とは別に、被害者の治療に関わった医師、事件被害者や信者の家族のために活動する弁護士など、専門家へのインタビューが挟まれる。


被害者へのインタビューは全て村上春樹本人が行い、二時間程度のインタビューの録音をもとに、村上春樹が分かりやすく編集した文章を載せている。分かりやすくするために文章の一部を削ったり、文章の順序を入れ替えたりしたとはいえ、文章はできるだけ本人の語りの雰囲気が残るようにした、と作者は語っているし、事実一人一人の語り方が伝わってくるような文章になっていると感じた。インタビューそのものは村上春樹の発言は少なめで、村上春樹の質問に対するインタビュイーの回答がほとんどであった。


本書で特徴的なのは、被害者の一人一人、に焦点が当てられている点である。いきなり事件当日の状況、被害を話してもらうのではなく、インタビューは被害者の個人的な話から始まる。どのような生い立ちで、今どのような仕事や生活をしているのか、通勤路と通勤時間、家族構成などがまず話題となる。どのような生活をしている方なのかある程度分かるようになった時点で、話題は事件当日の話へと移る。被害者Aではなく、一人一人のイメージを持って読むため、臨場感や証言の重みは増す。各証言の題名として証言内のフレーズ、一文が使われていたり、証言には本人の名前(仮名も含む)が全て明記されている点も語りに重みを出す効果を生んでいる。本人の像がより具体的に想像できる分、被害の記述を読むことは興味深くなる一方、当然辛くもなる。


当日の話、その後の通院や回復の過程の話をした後は、事件に対する意見や、オウム真理教に対する気持ち、現在の生活や後遺症についての話などでインタビューが締めくくられることが多かった。被害の軽重は人によって様々で、亡くなられた方(遺族へのインタビューが掲載されている)、重い後遺症を持つ方もいれば、ほぼ被害が無く、学校を休めてラッキーだったと話す高校生までいた。全体的には、1日から1週間程度の通院後退院し、肉体的後遺症は軽微という例が概して多かった。


オウム信者の精神構造の分析、などではなく事件被害者の感じたことが中心に書かれているためオウム真理教や地下鉄サリン事件を知るため初めて読む本として読みやすいのではないかと思う。本書はやや分厚く、長めではあるが、1つ1つの証言はそこまで長くはないため、いわば短編集のような読みやすさはあるかもしれない。


村上春樹自身はその後のエッセイなどで、村上春樹の独自のノンフィクションの書き方への、ノンフィクション作家による批判が多くあったと書いていた。だが、私は本を読んでいても、特別不快な書き方だとは思えなかった。証言者本人とその語りを重視する点が独特で、当時事件にあった方々が、実際にどういった人たちでどう感じたのかについてリアルに感じられる本だと思う。なお証言には公式な記録、または他の証言と矛盾する箇所が多少あるが、文中でも断られているように、本人の語りを重視して訂正がされていないため、その点は注意して読んでほしい。


(加藤 辰明)

出版社のサイトに飛びます:https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000198082

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