スキップしてメイン コンテンツに移動

『クジラアタマの王様』


良い小説とは何であろうか。残念ながらそれを述べられるだけの度量が私にはないのでここでは割愛する。では、面白い小説とは何であろうか。これならばまだ許されるだろう。ここで私見を述べる傲慢さを許していただきたい。面白い小説とは、物語がただの存在としてそこに“ある”という条件を満たしているものだ、と私は思う。明確に言うのであれば、読んでいる最中に作者の意図や工夫、存在が見透かされないということが重要だということである。何も分からない世界に読者が直面し、その中で流れを掴んで前へと進んでいく、その純粋さに私は心を惹かれる。

さて、本題に入ろう。本書『クジラアタマの王様』である。タイトルがややトリッキーだが展開は王道で、まさに真っ向勝負といった趣がある。それゆえ軽く触れるだけでもネタバレになりそうなのでここでは話の大筋には触れず、本書の興味深いところを見ていきたいと思う。

まずは展開の起伏について。知っている方も多いと思うが小説であれ、映画であれ、物語は作品の流れの中にいくつかの盛り上がりと、逆に盛り下がりが設けられている。これによって緩急がうまれ、観客は飽きずに物語についていくことができる。一般的には盛り下がりを作った後に徐々にヴォルテージを上げていき、クライマックスでドカンと弾けさせるようなものが多いと思う。『天気の子』などはこうした構成が上手に作られていて、そのためあの爽快感がもたらされているのである。この起伏は言うなれば山の尾根に例えることができるであろう。ここまで言うと、気になるのが本書の起伏である。どうなっているのだろうか。特に序盤に顕著なのだが、盛り下がりの後に持ってくる反動が異常に早いのである。例えるならば、ジェットコースターのように。この疾走感あふれる描写によって我々は「著者:伊坂幸太郎」を意識せずに物語を進めていける。つまりは“面白い小説”なのではないか。実際、ここの表現力を見るためだけに本書を読む価値はあると思う。

そしてもう一つ。それが本書最大の特徴ともいえるイラストである。本書を手に取りページを繰っていくとタイトルが現れ、目次が現れる。そして次に来るのが本文ではなく数枚の簡易的なイラスト(作者の言い方を借りれば“コミックパート”)なのである。しかも、その温かみのあるタッチで描かれたRPGのような世界観の絵とは無関係に、本文は現代の日常の描写という形で始まっていく。その後も何回か登場するイラスト部はもちろん物語に関係が無いはずがなく、分からなさを振り捨てて読み進めていくうちにそれが何のために存在するかが次第に分かるようになっていく。挿絵とも違うこの独特の表現形式に関し本書のあとがきを読むと、作者は奇をてらったと受け止められることを否定しており、単なる表現技法として、文章でアクションシーンを表すに際しての限界を超えるために導入したと語っている。小説という表現技法の敗北宣言と捉えられなくもないが、この“コミックパート”が安易に利用されずあくまで補助的に、かつ物語に奥行きを持たせるために利用されているという点で評価できる。イラストにおける顔の描写も読者の想像力を侵害しない程度に収まっているのが好感を持てる。

以上の二点が、私が書評を書くにあたってひねり出した特徴であるが、読書中にもちろんそんなことを意識している余裕はなく、それはすなわち面白かったことの証拠と言えるだろう。あえて文句をつけるならストーリーが王道すぎること、危機の解決策が非現実的であること、魅力の一つである他作品との関連性が薄いことなどがあげられるが、それは基礎が盤石すぎるが故の舞台装置への高望みであって、総合的に見ればバランスの取れた良作と言えるだろう。特にラストなどはあまりにもまっすぐで、だからこそそれがベストに他ならない、そう思える作品であった。長々と話したが、要するには伊坂幸太郎初読者の方にもおすすめの一冊である。ハードカバーなのに開きやすいなど装丁も素晴らしいので手に取ってみてはいかが。

(ちくあん)


出版社のページに飛びます:https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000057062019.html

コメント

このブログの人気の投稿

『ひろば』202号

コロナ禍対応のため201号に引き続き部員によって電子発行された202号。論題:「神話」では『サンティアゴ』『The Return of Santiago』『アメリカン・ゴッズ』、論題:「児童文学」では『獣の奏者』『ちいさなちいさな王様』『ニーベルンゲンの宝』『モモ』、論題:「感染症」では『治癒神イエスの誕生』『白い病』、「新刊寸評」では『四畳半タイムマシン・ブルース』『破局』を紹介しています。他にもエッセイや自由書評として『歴史の暮方』『民主主義は終わるのか』の書評も掲載。渾身の26頁となっています。

『ひろば』201号

  コロナ禍において紙媒体での配布が困難となり、自分たちの手で電子化した201号。 論題:「消滅」では『失われた町』『老いた大地の底で』『パラドックス13』『ミッドナイト・イン・パリ』、 論題:「近現代英国」では『〈英国紳士〉の生態学』『たいした問題じゃないが』『新しい十五匹のネズミのフライ』『ミス・ポター』『ベイカー街の女たち』『ハリー・ポッター』、 新刊寸評では『ツイスター・サイクロン・ランナウェイ』『難事件カフェ』、 自由書評では『熱源』『超必CHO-HI』『熱帯』、 これら書評に加えひろば民のエッセイも収録。 充実の26ページとなっています。

『大した問題じゃないが』

書店でこの本を手に取ったのは、タイトルに目を引かれたからである。 『大した問題じゃないが』 そうか、大した問題じゃないのか。周りの本が、抽象的な表現で大仰な肩書を背負っているのに対して、あまりに控えめなタイトルである。僕は、しばしば本の宣伝文句として使われる、内容とかけ離れた大風呂敷にうんざりしていたので、この本には親しみを覚えた。何せ、『最強の~』とか書かれた本に、最強であった試しはないのである。(この文は不適切なら削除して構わない。体裁は大事だ。) しかし同時に、大した問題じゃないならどうして本を書くのだ、という疑問も沸いた。問題にすべきことがあるから、本を書くのだろうに。つまらないものですが、と言って手土産を送るのとはわけが違う。読む価値がないと、自分で宣伝しているに等しい行為ではないか。 しかしながら、この、あまりに挑発的なタイトルという試みは、僕の場合については成功を収めたようである。むずむずした気持ちを抑えきれずに、買ってきてしまった。定価660円。今日一日の精神安定のためには、少し高い値段ではあった。 さて、肝心の内容であるが、20世紀イギリスの傑作コラムを選抜したものである。各コラムは数ページ程度で、あまり長編を読む体力のない人にもお勧めできる。訳もこなれていて、少なくとも訳のために引っかかるようなことはないはずである。 ところで、最初の問題に答えねばなるまい。タイトルのことである。問題にすべきことはあったのか?結論としては、ない。ただ、これをもって読む価値がないと断定するのは浅はかな考えであることを気づかされた。もとより見ようとしないことと、じっくり検討したうえで問題にならないと笑い飛ばしてやるのは、まったく質の異なる話である。たしかに、大した問題ではない。命を懸けた大冒険のストーリーが語られることはないし、権力闘争に狂ったスコットランド王の苦悩を描くこともない。なんなら、話題にされている中で一番大きいものは、動物園のゾウかもしれない。だが、普段我々の日常の中に埋没していってしまうような「大した問題にならない」ことを、卓越した感性で浮き彫りにし、豊かな教養で調理してくれる文章の数々は、実に痛快で、読んでいて気持ちがいい。ジョークも気が利いていて、普段光が当たらない生活の側面に光を当て、そしてクスリと笑えるようなエッセイが満載...